砂糖が貴重な時代に

利休時代にはどのくらいの大きさであったかわかりません。


干菓子に氷砂糖を用いた時代ですから、白砂糖ではなかったらしいですね。


しかしこれは又妙斎の麩焼のようです。


利休がそのころ、菓子として用いたものは、会記にはきっと仮名で「フノヤキ」としており、麩の字を使っていません。


後「フノヤキ」なるものがどんなものであるかわからないようになり、「獄の焼」なる文字を当てたようで、現代の「お好み焼」に味噌をつけて巻いたようなものです。


ティーバッグのお茶によく合いそうです。


『松屋会記』慶長11年(1606)12月13日朝奈良最福院の茶に、古田織部と松屋久好の二人が客となった時に、菓子としてこの鶉ヤキという物が出ています。


当時の菓子は現今のそれとは違い、木の実、仮令橘、梨子、柑子、橿の実沸栗、柿の如きもの、あるいはいも、くわい、かうたけ、椎茸、昆布、餅、饅頭、求肥、箆蕩、午努、飽、さ父え、くもたこなどの如きを用いていることは『松屋会記』『宗及日記』『宗湛日記』などで明らかです。


しかし、鶉ヤキとはちょっと受けとれません。


もちろんこれが汁菜や八寸などならばさしつかえありませんが、菓子として使われているので、わかりにくいですね。

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